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ワーホリ・サクセス・ストーリー
新連載 第1回

後藤国久さん ヘア・サロン/blu:/ディレクター

 1年間働きながら、自由に、そして多目的に滞在できるワーキング・ホリデー制度を利用して、オーストラリアへやってくる若者は後を絶たない。市内キングス・クロス駅近くにあるヘア・サロン、/blu:/のディレクターとして活躍する後藤国久さんも、同制度を利用してこの地へやって来た1人だ。シリーズ第1回は、人気ヘア・サロンの経営者、後藤さんをクローズアップする。

美容師として、人として、 ”柔軟性“を養うことが成功へのカギ

後藤国久さん■美容師としての下地を培ったワーホリ時代
「英語圏の国で、こんなに気候に恵まれた国はないと思うから」。1997年にワーホリ・ビザで来豪し、その後永住の地としてオーストラリアを選んだ理由を、後藤さんはこう話す。来豪当初から、美容師として腕を磨く日々を送っていた。しかし、充実した日々はあっという間に過ぎ、いよいよワーホリ・ビザの期限が迫ってきた。そこで後藤さんが選んだ道は“ビジネス・ビザでもう少し滞在する”ことだった。「今日本に帰ったら、英語も美容師としても中途半端で終わってしまうと思ったから」。しかし当時は現在とビザ取得の状況がかなり異なり、それから約3年、ビジネス・ビザ待ちの状況が続いたという。そこでその後の人生をどうしようかと考えた時、永住権を申請しようとふと思いついた。
  当時は永住権申請は自国からでしかできなかったため、2000年に日本に一時帰国。すると約1カ月で永住権が下りたという。「こんなことなら始めから永住権を取得していればよかった、と今振り返ると思うけれど、ワーホリ・ビザが切れた時点では永住権という選択肢は自分の中にはなかったんです」。美容師としての腕を上げ、英語力を磨き、オーストラリアでやっていくための下地を培うのに、後藤さんには必要な3年間だったのだ。

■いよいよ、美容師として独立
  晴れて永住権を取得し、再びオーストラリアに戻ってきたころ、後藤さんは2つの選択肢の間で揺れていた。以前のようにどこかのサロンで働くか、それとも自分の店を立ち上げるか――。両方向で今後の人生を探っていたころ、サロン・オープンのために申請していた物件の話がうまく進んだ。独立のチャンスの到来だ。それからは店オープンに向けて一直線。「豪州政府のある機関に“オーストラリアでのビジネスの興し方”をアドバイスしてくれる無料サービスがある。まずそこで、何をしたらいいのかイチから教わりました」。店を開店させると聞くとお金がかかりそうなイメージがあるが、後藤さん曰く「そんなことはない。例えばこのサロンは、もともと居抜きのサロンだったので水周りは整っていたし、大がかりな改装は必要なかった。ほかにも大家さんと家賃交渉したりしてコストを抑えました。無駄なお金をかけない方法はいくらでもある。だから個人的には『ビジネスはゼロからでも始められる』と思っています」

■後藤国久さんプロフィル
英国ロンドンでヴィダルサスーン ディプロマを取得。97年ワーキング・ホリデー・ビザで来豪し、00年オーストラリア永住権取得。02年にはヘア・サロン/blu:/をオープンさせた。

■国境の壁を越えた美容院に
  オーストラリアの中でもシドニーは、世界中からさまざまな国の人が集まる人種のるつぼ。いわゆる“スタンダード”が通じない街と言っていい。そんな状況で、美容師として求められる要素は?「何と言っても柔軟性。ほかにもいろいろ大切なことはあるけれど、得に求められる要素だと言っていい。国が違えば髪質も好みのスタイルも千差万別。そこで『こうする方がいいですよ』とこちらのテイストを押し付けるのは良くない。例えそれが自分の好みやトレンドとは違ってもそれが受け入れられないと、この街でやっていくのは難しいかもしれないですね」
  ブルーのマーケットは、シドニーの日本人社会を超え、さまざまな国の人々にまで及ぶ。顧客層は日本人50%、ヨーロッパ系30%、アジア系25%。実に半分が日本人以外だ。それを可能にするのは、柔軟な視野に加え、スタッフの英語力の高さにある。海外で暮らす多くの日本人に立ちはだかる壁だ。「いろんな職業があるけれど、美容師ほど英語力が必要な職業もないんじゃないかな。もし今海外で美容師になりたいと思う人がいるなら、『英語を一生懸命勉強して ! 』と言いたい。通じるだけじゃだめ。スタッフではなく、お客さんとのコミュニケーションに必要なわけですから」。ブルーが市内に数多くあるへア・サロンと一線を画すのも、その言葉の壁を超えているところにある。美容師としての技術を磨き続けること、新しいスタイルを模索し続けることはある種当然だと言える。しかしそれをこの地で生かすも殺すも、やはり英語力が決め手になるのだ。“壁”を超えれば、マーケットはいっきに広がる。「じゃあ自分が英語力を高めるのにどうしたかというと、重視したのはボキャブラリーの量と発音です。膨大な数の単語を覚えました。1つの単語でも国によって言い方がまったく違う。それを知っておけばお客さんとの意思の疎通がスムーズになるかもしれないですしね。あとどんなに正しい文法を知っていても発音が悪かったら通じない。だから、発音矯正にも力を入れました」

本紙インタビューに応じてくれる後藤さん
本紙インタビューに応じてくれる後藤さん

■自己管理をしっかり !
「それと、これは美容師に限った話ではないけれど」と後藤さんが最後に力を込めて話してくれたのは“自己管理の大切さ”だ。「早起きすること。朝を制するものは1日を制する、じゃないけど本当に大切だから」。朝ご飯をしっかり食べる、適度な運動を心がける。飲みすぎない、体調管理をしっかりする。そして部屋を整理する。「昔は僕もこんなこと気にしなかったんですよ。でも“上手くいってる人”ってそういう共通点があるということに気付いて、自分でも心がけるようになったんです」

  美容師として求められる要素と、日本人が海外で生き抜いていくために求められる要素――それらをバランスよく、柔軟にオーストラリアで鍛えてきた後藤さん。優しい語り口だけれど、妥協を許さず、その時できること、吸収できることに全力を注いできたタフさが、言葉の端々にまでにじみ出ている。
  ワーキング・ホリデーからスタートしたオーストラリアでの美容師人生。「飽きがこないんですよね、この仕事」。これからもこの地で、美容師という職業を存分に楽しんでいく――。

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