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ワーホリ・サクセス・ストーリー
新連載 第3回

相良敏行さん
自動車整備会社「TOSHI WORKS」代表

逆境をバネに強さを身に着けた

 ゴールドコースト(GC)で営業する自動車整備会社「トシ・ワークス」のオーナー兼メカニックとして、在豪の日本人はもちろん地元オーストラリア人からも厚い信頼を集める相良敏行さん。ワーキング・ホリデー・ビザで来豪し必死に職探しをした7年前から、夢だった永住権と今の事業を手に入れるまでの山あり谷あり笑いありのストーリーを、さわやかな笑顔で語ってくれた。

本紙インタビューに応じてくれる後藤さん

■絶対に諦めない
「彼女と一緒に旅行で訪れたことがきっかけで、この土地が好きになりました。彼女に促されて来たオーストラリアでしたが、いざ来てみると僕の方がここに住んでみたいと強く思うようになっていました」
  自動車専門学校を卒業後、2年間、自動車整備士として働いていた相良さんが、初めて旅行でゴールドコーストを訪れたのは21歳の時。カラリとした気候と地元の人々の人柄に魅了された彼は、「若いうちにやりたいことをやろう。やるなら今しかない」と思ったという。
  帰国して1年、節約生活を送り資金を貯めた相良さんは、ワーキング・ホリデー・ビザを取得して彼女と一緒に再来豪を果たす。オーストラリアに永住するつもりでの「移住」だった。
「自分が持つ自動車整備士としての経験を生かし、メカニックとして働こうと決めて来たんです」。GCに到着して2日目から早速、就職活動を開始。GC中の自動車メーカー販売店や整備工場を連日、飛び込みでお願いして回ったという。しかしなかなか仕事は見つからない。「メカニックはもともと車が好きで、専門的技術を習得したという人がほとんど。ポジションが空くことは稀で、腕に自信はありましたが、職に就くのはなかなか難しかった。絶対に仕事を手に入れてやると気合いを入れて就職活動をしましたけど、結局すべてダメでしたね」と苦労した日々を振り返る。
  当時まだ、ワーキング・ホリデー・ビザでは同じ職場で3カ月しか働くことができなかったことや、英語が話せなかったことも採用につながらなかった1つの要因ではあるだろう。ただ、高い技術を持った職人の世界だからこそ、空きのないポジションであることは確か。しかし相良さんは、諦めずに必死に夢を追った。

■相良敏行(さがらとしゆき)さんプロフィル
1998年自動車専門学校卒業後、一般整備、解体、ボディ・コーティングなど車に関する仕事を幅広く経験。2000年ワーキング・ホリデー・ビザで来豪し、地元オーストラリア自動車整備会社に5年間勤務。05年に独立し「TOSHI WORKS」設立。

■無給だが念願の仕事をスタート
  来豪3カ月後、突然の吉報が飛び込んだ。以前、2週間のオーストラリア旅行で世話になった旅行会社から、地元の自動車整備工場の仕事を紹介されたのだ。ただ、条件は“ワーク・エクスペリエンス”として。つまり無給での仕事だ。しかし、相良さんはこの条件を喜んで受け入れた。「たとえ無給でも、仕事を紹介してもらった時は嬉しかったですね。英語ができない僕を迎え入れてくれたことに本当に感謝しました」
  同僚はすべてオーストラリア人。慣れない英語との格闘が始まった。まったくと言っていいほど話せなかったので、同僚とのコミュニケーションには苦労した。しかし相良さんは、持ち前のバイタリティーを発揮。タイヤ交換に始まり、身振り手振りでメカニックのひと通りの英単語を覚え、仕事の中で英会話を学んでいった。そして、驚くことに相良さんの英語はみるみるうちに向上した。
  1カ月ほど経ったころ、小額だが給料がもらえるようになった。「すごく嬉しかったですね。もっと頑張ろう ! って思いました。もともと、英語が話せないという理由でワーク・エクスペリエンスという扱いだったので、英語で苦労していた日々が報われた瞬間でもありました」。
  年配のメカニックが多い中、22歳という若さならではの相良さんの前向きな姿勢は、いつしか周りの人に好感を与えるようになる。仕事にも英語にも慣れ始めたころ、会社がビジネス・ビザをサポートしてくれるという話が舞い込んだ。日本人マーケットを拡張させるためにも、会社にとって相良さんが大切な存在になっていたのだ。
  ビジネス・ビザを取得し正式に社員として働き始めたころ、会社は本格的に日本人マーケットへのアプローチを開始。日本人顧客から車のメンテナンス依頼が次々と入るようになり、相良さんは目の回るような忙しい毎日を送るようになった。「多くのお客さんが僕を指名してくれるようになったんです。長くGCで生活している年配のお客さんの多くは、英語でのコミュニケーションに苦労していたようです。なので、僕のような日本人メカニックだと安心してくれました」
本紙インタビューに応じてくれる後藤さん  多忙な時期でもあったが、そこはオーストラリアの会社。時には昼食を食べる時間がなかったものの、朝8時から夕方5時までと勤務時間はしっかり決められており、残業をすることはめったになかった。「仕事とプライベートがきっちり分かれていたので、忙しくても仕事を楽しめました」。
  その後、相良さんは永住ビザを申請。そして、03年の10月、晴れてビザを取得した。かねてからの夢が1つ叶った瞬間だった。さらにこの時期、仕事の成果が表れる。勤め先の会社がオーストラリア全土で最も発展が目まぐるしかった会社に贈られる「ビジネス・ディベロップメント賞」を受賞したのだ。もちろん、相良さんもこれに貢献した1人だった。
■困難な時期を乗り越える
  転機が訪れたのは会社が絶頂期を迎えた直後だった。勤め先の経営者が代わったことで経営方針が変わり、少しずつ仕事の数が減り始めたのだ。売り上げがとことんまで落ちたころ、リストラが始まった。「初めにクビになるのは僕だと思っていました。何しろ僕以外は全員ベテランのスタッフばかりだったので」と打ち明けるように、リストラの対象となってしまった相良さん。実際その時の辛さは味わった人にしか分からないだろう。「しょうがないなと思うしかない。残念な気持ちでいっぱいでしたが、これをバネに頑張ろうと思いました」。そして、相良さんは起業を決意。05年6月、自動車整備会社の事業主として独立したのだ。「僕を必要としてくれているお客さんもいたし、年齢もまだ若い。たとえ失敗しても何とかなるって思いました」。
  独立してから約2年。相良さんは現在、顧客を訪問して車の修理をするほか、顧客が車を購入する時にインスペクションの立ち会いを行うなど、今まで培った経験をフル活用し、自分で立ち上げた会社「トシ・ワークス」を切り盛りする。もちろん会社のマネジメントなどは初めての経験だったが、未知の分野であっても積極的に勉強し、試行錯誤しながらも充実した日々を送っている。最近では電話での24時間サポート・サービス「モバイル・サービス」も開始した。
  相良さんがとても輝いて見えるのは、数々の苦難を“当たって砕けろ”とばかりに奮闘し、自らの力で乗り越えてきたからこそ持てる、仕事に対する誇りがあるからに違いない。
「そんな偉そうなものじゃありません。今の僕があるのは、常に周りの人に助けられたからこそ。僕にとって人との出会いは、自分を成長させてくれる大切なツールです。それと、会社のお金の管理など、縁の下の力持ちとして僕をずっと支えてくれている彼女には感謝しています。この場を借りて“ありがとう”と言わせてください」。
  逆境をバネに這い上がり、さらにそれをプラスの力へと変えた実力者。言葉に重みを感じた。

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