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ワーホリ・サクセス・ストーリー
新連載 第8回

福島央輔さん・小林瑞枝さん
Japanese Screens & Interior勤務、エッセンドン・キーロー・カレッジ、
ムーニー・ポンズ・ウェスト・プライマリー・スクール日本語教員

人との縁を大切にしながら、
フレキシブルに生きていきたい

 幼稚園からの幼なじみが高校時代に再会。それ以来10数年来の付き合いという央輔さんと瑞枝さん。メルボルンで結婚し永住権取得、今年7月には西郊のフッツクレイに家を購入と、すっかり腰を下ろした生活ぶりだ。にもかかわらず「つい最近まで永住権を取るとは思ってもみなかった」という。その時々の状況でフレキシブルに次のステップを決めて行った結果、いつの間にかたどり着いていたという感じだ。そんなワーホリ卒業生の2人に話を聞いた。

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自宅のラウンジ・ルームで

■ここで働ける自信
 オーストラリアに来たのは、瑞枝さんが最初だった。2000年、2年間勤めた東京都内の私立高英語教師の職を辞し、日本語教師のアシスタントとなるべくスペシャル・プログラム・ビザで来豪した。動機は英語の上達。ただ留学するよりも、仕事をした方が実務的な語学が身に着くと思った。実際9カ月のボランティア期間中、過去の経験を生かして、単なるアシスタント以上の仕事ぶりを発揮。担当教員が休んだ日などには実際に教鞭も執った。それが「こちらでお給料をもらって仕事ができる」という自信につながった。また、さまざまな友人ができ、ネットワークという基盤ができたことも、再来豪を決意するきっかけとなった。
  日本にいったん帰って半年過ごした後、ワーホリ・メーカーとして再びメルボルンへ。友人宅で居候しながら「仕事を探している」とメールをばらまいたところ、メルボルンの東、ワインで有名なヤラ・バレーにあるバイリンガル校で日本語教師アシスタントのポジションが空くというニュースが入ってきた。
「それを聞いた時、ヤラ・バレーじゃ車が必要だしこの仕事は無理だと思いました。ところがシェアしていた友人に、これはチャンスなんだから車ぐらい買ったら、と後押しされて」。結局ヤラ・バレーでの仕事で、ビザのサポートをもらい、最終的には2年間続けることになった。

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学校の同僚と。右端が瑞枝さん

■メルボルンで2人暮らし
  ヤラ・バレーでの最初の年が終わり、契約更新であと1年過ごすことになったころ。瑞枝さんは日本に残してきた数年来の彼、央輔さんに「あと1年こちらで過ごすから、あなたもこちらに来てみたら」と提案。当時央輔さんは職業訓練校を出て、家具職人として仕事を始めたばかり。二の足を踏んだが、なかなか安定した職がなかったこともあり「1年だけなら行ってみようか」と、結局その年6月にワーホリで来豪。瑞枝さんの仕事が終わったら半年はオーストラリアやアジアを旅行しようという計画だった。だが、それまでの半年間、央輔さんが何をするかは特に計画なし。2人とも「なるようになる」と、あまり焦らないタイプのようだ。央輔さんは何となく仕事を探しながら、英語を勉強したり、木のアクセサリーを作ってマーケットで売ったり、地元新聞配布のバイトをしたりとのんびりした生活を送っていた。
  そんな彼に家具職人としての仕事が決まったのは、ワーホリ期間も半分以上過ぎた翌年2月ごろ。こちらに来て早々、訪れた「ジャパン・フェスティバル」で名刺をもらっていた和風家具の会社に何度か連絡してみたところ「じゃあとりあえず来てみたら」との返事。職人気質の央輔さん、「とりあえず」のはずが、行った初日からしっかり働いてしまった。こうしてフルタイムの仕事が突然始まった。

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央輔さんは障子作りを担当している

■さらなる滞在延長と結婚
  さて、そんな央輔さんの様子を見ていて、瑞枝さんは思った。「どうやら彼も、オーストラリアが好きらしい。それならもう少しこっちに滞在してみよう」。幸い貯金があったので、瑞枝さんは教師の資格を取るため、ラトローブ大学へ進学することに。ビザは学生へ切り替わり、そして央輔さんが学生ビザに配偶者として便乗できるようにと、04年4月、2人は結婚した。2人曰く「結婚には興味がなかったんですが、ビザのこともあったので入籍することにしました」。普通の人にとっては人生の一大事「結婚」を、ビザのために利用した、何事にも固執しない2人らしいエピソードだ。
  その後、瑞枝さんは1年のコースを修了。友人の紹介でメルボルン北西のエッセンドン・キーロー・カレッジと、在学中フィールド・ワークに行ったムーニーポンズ・ウエスト・カレッジの2校で仕事が決まり、今に至る。現在は日本語教師以外にも、LOTE(Language Other Than English)コーディネーターとして、LOTE教師の会議を運営したりといった役職にも就いている。
  一方、央輔さんは今も例の家具工房で仕事を続け、時間を守りしっかり仕事をする職人として頼りにされている。「おかげでオーナーはもっと日本人を雇いたいみたいですよ」というほどだ。

■大事なのは人脈とフレキシビリティー
  昨年12月、瑞枝さんの学校がスポンサーとなって永住権を取得した。これも理由はこの2人らしく、オーストラリアにずっと住もうと決めたから、ではない。「契約ごとにビザを更新しなくていいし、仕事を変えたくなった時に、選択の幅が広がるから」。実際、まだ「日本に帰ってもいい」とも思っているという。ただ「ホリデーがきちんと取れて夏に1カ月旅行ができ、職人という立場でも労災や保険がしっかりある」こちらの暮らしは、今のところ2人のライフスタイルに合っている。だから、今はここにいる。
  そんなノリで、この7月には家まで購入してしまった。今は10月の入居を楽しみに待っている。「さすがにこれで、しばらくはこちらにいそうですけどね」と2人は笑う。
  瑞枝さんは「ここに長くいる上で大事なのは、人脈とフレキシビリティーじゃないかな。私の仕事はどれも人づてで決まったしね」と言う。信頼できる友人を作ること、先のことを考えすぎて焦ったりせず、自分が今できることをやっていくこと。2人の暮らしを見ていると、そんな普通のことが、とても大事だと思える。

 

 

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