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インタビュー

ENJOYING STUDENT LIFE IN AUSTRALIA !

あなたの 幸 留学生活
教えてください

 留学のスタイルは人それぞれ。どんな環境で、何を目標に、何をどう学んでいるのか。シドニー、メルボルン、ブリスベンで留学生活を送る6人に、オーストラリアでのハッピー・スチューデント・ライフを聞いた。


(中央)シェアメートでもあるバンドのメンバーと
(右)ライブ演奏で練習の成果を披露する

SYDNEY
石井亮平さん
UNIVERSITY OF NEW SOUTH WALES
学士課程(政治学/フランス語)

興味がある政治学を起点に
将来、自分が本当にやりたいことを見つけたい

 2005年にシドニーで留学生活をスタートした石井亮平さん(22歳)。ニュー・サウス・ウェールズ大学の学士課程で、政治学とフランス語を二重専攻している。シドニーに来る前は、父親の仕事の関係でシンガポールで暮らしていた。現地の高校を終えた後は大学進学を決意。「将来何がしたいかと聞かれたら、答えに迷ってしまうのが正直なところ。その答えを出すために、今の自分には知識と経験が必要だと思った」。そして、同じ英語圏の大学で、教育レベルが高いと聞いた現在の大学に留学を決めた。
  亮平さんが専攻する政治学は、一般には難しそうな学問という印象を持たれがちだ。それを選択した理由を亮平さんはこう話す。「政治的な要素は、現代社会のあらゆる生活の場面に関係しているんじゃないかと思います。それを学ぶことは、将来どのような分野に携わるにしても役に立つはずだと思い選択しました。今の自分には一番興味の持てる分野です」。将来は、報道関係やジャーナリストといった道も開かれるかもしれない。
  フランス語は、高校時代から行動をともにしている亮平さんの親友が、まず興味を持っていた。幼いころから海外生活が長い亮平さんは、日本語と英語を自由に使いこなすが、さらに語学を学びたいと思っていたこともあり、フランス語を専攻することにした。この亮平さんの親友というのは、シンガポールで同じ高校に通っていたスウェーデン人とドイツ人の2人。今や同じ大学に通うクラスメートであり、またシェアメートでもある。この3人で海の近くのサバーブに部屋を借り、気ままなシェア生活を送っている。アサイメントやテスト前には協力し合ったり、フランス語の練習をしたりする。
  また亮平さんをはじめこの3人は、根っからの音楽好きという共通点もある。もう1人オーストラリア人の友達を加えた4人でバンドを組み、休みの日はもっぱらバンド練習に精を出す。「それぞれ異なったバックグラウンドを持ちながら、お互いを尊重し合って過ごせるメンバーはとても大切。過ごす時間は長くても、苦にならないのはそのためだと思います」。
  アルバイトではつい最近、雑誌編集の仕事を始めた。「編集の経験は初めて。編集者の視点で文章を“書く”ことに奮闘しています。将来、必ずしもこの仕事に携わりたいというわけではないけれど、この経験から吸収できることが将来の役に立てばいいですね」。


(左)授業後も残って復習
(中央)辛い時、ブリスベンから車で約1時間のゴールドコーストへやって来る。海とサーフィンが自分へのご褒美
(右)笑顔を絶やさず夢に向かう早苗さん

BRISBANE
石曽根早苗さん
BRISBANE SOUTHBANK TAFE
看護師コース

昔の夢を思い出した。
私、看護師になりたかった

 「サーフ・トリップをするために来たんです」と、来豪当初の本音を語る石曽根早苗さん(26歳)は現在、ブリスベンにあるTAFEのナーシング・コース(ディプロマ)に通っている。残業で終電を逃がす日本での日々に疑問を感じていた彼女が、仕事を辞めワーキング・ホリデー・ビザでオーストラリアにやって来たのが約1年半前。最初の地にブリスベンを選んだのは、日本人が少ないという理由から。そういう環境下に身を置けば、生活に必要な最低限の英語力を短期間でマスターできると考えたのだ。そして、1日も早くサーフ・トリップに出るつもりだった。
  ところが、ブリスベンの語学学校で一般英語を学び始めると、勉強熱心なクラスメートに影響され、次第に英語力に対する向上心を募らせていく。そして、さらなるステップ・アップを狙いIELTSコースを受講し始めた。その選択が、彼女を今に至らせた。
「夢」をトピックとし、友人とスピーキングの練習を行っていた時だ。「そう言えば私、看護師になりたかったんだ」とたまたま思い出し学生時代の夢を語った早苗さんに、友人があるものを差し出した。それが、早苗さんが現在通うナーシング・コースのパンフレットだったのだ。「ラスト・チャンス」という言葉が早苗さんの頭を過ぎったという。
  高校時代、看護学校に行くため予備校にまで通っていたという早苗さんだが、その夢を断念していたのだ。そのパンフレットを目にした時「もう1度トライしたい。今度は逃げない」と強く思ったという。「今は膨大なアサイメントに追われる日々。でも、何としてもこのコースを修了し、正看護師になるため大学に進学したいんです」。
  とは言え、専門医学用語をはじめ医療に関する法律までを英語で学ぶのだから、強い精神力と集中力が要されるのは確か。その上、病院での実践研修ではスタッフや患者とのコミュニケーション能力も問われる。先日の研修では、想像以上に自分の発音が相手に通じず落ち込んだ。体重が80キロほどもある老人の介護で腰を痛めたこともある。「確かにストレスで押しつぶされそうになることもあります」と早苗さん。
  そんな時、彼女は早朝3時に起きてゴールドコーストの海岸へ向かうという。大好きなサーフィンをするためだ。「それが私にとっての最高の癒し」と微笑む早苗さんは、生き生きしていた。勉学と趣味のバランスを上手に図りながら、着実に自分の目標に向かっている彼女は、ここオーストラリアできっと夢を叶えることだろう。


(左)ジュエリー制作の教室で
(中央)ジュエリー制作過程の1コマ
(右)自作のリングとデザイン画

MELBOURNE
塩野大介さん
BOX HILL INSTITUTE
エンジニアリング/ジュエリー・デザイン・制作コース

手を動かしているのが
一番楽しいですね

「初めて貴金属に触れた中学生の時以来、モノ作りが楽しくて仕方がない」というのは、豪州最大級のTAFE機関、ボックス・ヒル・インスティテュートでジュエリーのデザインと制作を学んでいる塩野大介さん(19歳)。
  幼いころから物を作ったり絵を描いたりするのが好きで、都立工芸高校のアート・クラフト科で金属加工について学んだ。文化祭でクラスメートとシルバー・リングを作って販売したのがきっかけで、シルバー・アクセサリー制作の魅力に引き込まれていった。
  英語にも興味があったので、高校2年生の時にアデレードで1週間ホームステイを経験した。その後迎えた進路決定。「金属工芸をこのまま続けるか、英語を取るか悩んで…。結局、“両方やればいいじゃないか”と」。
  そこで英語とジュエリー全般について学ぶことができるメルボルンを留学先に決め、2006年4月来豪、翌年の2月から同コースで学んでいる。
  ジュエリー制作のクラスは、制作物を提出してハイ終わりというわけにはいかない。完成品はもとより、そのプロセスが重視される。そのため、制作過程や自分の考えを事細かく書いたジャーナルの提出やプレゼンテーションも多く、大変そうだ。もちろんすべて英語なので、専門用語で苦労することもあるという。しかし、好きなことを学んでいるという充実感からだろうか、“課題に追われている”というふうには見えない。
現在学んでいるのはロスト・ワックス技法といって、蝋を原型に用いた鋳造法。これまで銅板やアルミなどの素材を使用していたが、この技法で念願のシルバー・アクセサリー制作に挑戦する。最初に制作するのは、アデレードにいる友人にプレゼントするためのリング。以前に日本で作ったものがあったが、出来上がりに納得がいかず渡さずじまいだったという。
  週末はというと、「時々ですが、友だちとシティに行って工具屋さん巡り。シティにも意外とそういう店があるんです」。また、メルボルンは、歴史的な古い建物と新しいデザインの建物が混在しているため、刺激を与えてくれるという。
  コース卒業後は、日本に戻ってシルバー・アクセサリー制作の専門学校に通う。ゆくゆくは自分のブランドを立ち上げるのが夢だ。
「男女問わず身に着けてもらえるようなユニセックスなデザインを心掛けています。そして、友達や家族、恋人など大切な人への贈り物にしてもらえたら」。メルボルンでの留学は、そんな彼の目標を確実に後押ししてくれるはずだ。


(左)予習と復習は絶対に欠かせない少人数での授業
(中央)毎日ぎっしり詰まった講義をこなす三澤さん
(右)毎週末、ゴールドコーストの海でサーフィンを楽しんでいる

BRISBANE
三澤優介さん
GRIFFITH UNIVERSITY
エンベデッド・ソフトウエア・システム・コース

こうなったら、目指すは世界をまたに架ける
バイリンガル・エンジニア!

「専門用語が多いので、日々英語と格闘しながら勉強しています。でも苦労するのも楽しいものです」。力強い口調で答えるのは、4年間の会社員生活を経て、“運命を感じた”というエンジニアになるために、今年1月からブリスベンにあるグリフィス大学でエンベデッド・ソフトウエア・システム・コースを勉強している三澤優介さん(29歳)だ。
  卒業旅行で海外を経験し、いつか海外に住んで英語が話せるようになりたいと切に思ったのがそもそものきっかけ。そして2006年7月、ワーキング・ホリデー・ビザで来豪。ホームステイをしながら3カ月間、語学学校に通う日々が始まった。しかし、学校へ通う楽しい気持ちとは裏腹に、未来への不安も感じていた。「せっかく海外で生活し始めたのだから、将来、自分の武器になるものが欲しかった。何かしらを身に着けて日本に帰りたいと思っていました」。
  そんな時、留学エージェントから、ある日本企業が主催するエンジニア育成プログラムを紹介された。1年間の授業料は免除。さらに、エンジニアとしての専門技術を身に着けられることに漠然と興味が沸いた。
  早速、履歴書を送りIQテストを受験。しかし、不安を感じていた通り、英語力が基準に達していなかった。今さら後に引けないと、2カ月間必死でTOEICの勉強に集中し、見事合格を手に入れた。「この合格をきっかけに、文系の僕でもエンジニアになれるかもしれないと確信。運命を強く感じました」。
  大学生活は朝から夕方まで、ソフトウエア・エンジニアリングやエンベデッド・ソフトウエア・デザイン・プロジェクトなど、コンピュータ・ソフトのプログラムを組む専門的な講義が続く。「講義中は英語の意味が分からないことも多い。だから予習と復習は絶対欠かせません。セメスターが始まった当初は、教授の質問に全く答えられず、何度も悔しい思いをしていました。だから今は、自分の力でこつこつ勉強し問題解決をする努力をしています」。
  その代わり、週末は平日の勉強をきれいさっぱり忘れてアウトドアに飛び出す。毎週のようにサーフボードを担いでブリスベンからゴールドコーストのバーレー・ヘッズまで電車とバスに揺られ、サーフィンを楽しんでいる。
「もうこうなったら、世界に通用するバイリンガルのエンジニアになります。勉強は大変だけど、今の自分は『生きているな ! 』と実感できます」。夢に近づくために猛勉強の日々が続く。


(左)緑の美しいキャンパスで
(中央)国際政治についてのテュートリアル
(右)ファウンデーション・コースのパーティーで友人と

MELBOURNE
谷治智子さん
MELBOURNE UNIVERSITY
学士課程(メディア・アンド・コミュニケーションズ)

とまどいや焦りはあったけど、
ディスカッションにも慣れました

「ニュースを客観的に見られるようになりました」。嬉しそうに話してくれたのは、谷治智子さん(21歳)。メルボルン大学でメディアとコミュニケーションを専攻、1年目の今はジャーナリズムについて広く学んでいる。
  以前はニュースのすべてを鵜呑みにしていたが、新聞などを使いジャーナリズムの倫理や偏見について勉強するうち、ニュースを見る姿勢も変わってきたという。
  高校卒業後、英語の専門学校に2年間通った。就職も考えたが、英語を使って新しいことを学ぼうと留学を決意。2006年5月来豪した。
  もともとドラマを見るのが大好きで、その舞台裏に思いを巡らせるうち、メディアの影響力についても考えるようになった。そして、大学進学前のファウンデーション・コースで取ったメディアの授業では、“新発売の炭酸飲料を豪州の若者向けに宣伝する”というテーマで、新製品のプロモーション法やCMの製作過程を考えてプレゼンした。「いかに買い手の関心を引き付けるか、何時間もかけてアイデアを出して。製作側の視点に立てて、すごく楽しかった」。
  今では流暢な英語でローカルの学生とも気軽に話せるが、入学当初は背の高いオージーにとまどった。“これからは対等にやらなくては”という焦りもあった。こちらの学生はディスカッションに強い。自分の意見をどんどん言い、人が言い終わる前に話し始める。智子さんの番が回ってきたころには、意見は出尽くされていて、結局押し黙ってしまうこともあった。しかし、異文化に理解のある教師が多く、留学生が質問しやすい雰囲気を作ってくれたため徐々に慣れ、最近は発言もできるようになったという。
  東京都出身の彼女が最初に住んだのは、メルボルンの郊外。静かな住宅地で、遊ぶ場所も限られた。「つまらない所に来たかも」と思った。1年を経て、「穏やかで、勉強するにはいい環境。ストレスはないですね」と笑う。
  また、シェアメートとも仲がよく、一緒に料理を作ったり、ホーム・パーティーを開いたり。休みには公園に行き、趣味のフルートを吹いてリラックスすることもある。
「将来は広告関係の仕事に就き、日本とオーストラリアを行き来したい」。目標を定めた彼女が、メルボルン留学で得るものはきっと大きい。


(中央)2週間の教育実習で教えることの楽しさを改めて学んだ
(右)学校でお世話になった先生と訪れたパーム・ビーチで

SYDNEY
帯田昌吾さん
INTERNATIONAL HOUSE SYDNEY
児童英語教授法コース/J-Shineコース

子どもに留学や旅行で
学んだことを伝えたい

 日本で大学を卒業後、旅行会社に就職し、貯めたお金で世界旅行を始めて約5年。北米、南米、アジア、ヨーロッパなど、数々の国を訪れた。2006年4月に54カ国目となるオーストラリアへやって来た帯田昌吾さん(30歳)は、小学校英語指導資格J-Shineを取得するため、専門学校に通っている。将来は、日本で幼稚園の先生になる予定だ。
  オーストラリア到着後は、まず学校探しから始まった。シドニー市内でJ-Shineが取得できる学校を何校か探し、体験クラスにも数多く参加。自分の目で確かめるのが一番いいと思ったからだ。現在の学校に決めたのは、「先生が熱心に教えている様子と学校の雰囲気が気に入りました。それと授業のカリキュラムが、専門的なことを短期間で効率的に学べるよう編成されているのもポイントが高かったです」。
  学校は、かなり実践型な内容だ。午前中の授業では英語のネイティブの先生から、実際のクラスをどう運営するのか、どのように発音を指導するのかなど、具体的な内容を学ぶ。午後は教師歴の長い日本人の先生から、日本の小学校での英語教育事情や就職時に求められる人材など、違う視点から講義を受ける。「授業では模擬授業もあり、教案を書いたり、教材を用意したり、大変だけど好きなことが勉強できているので苦になりません」。
  先日、現地の幼稚園で2週間の教育実習を終えた。「子どもたちは本当にかわいいですね。楽しみながら学んでもらいたいので、歌を歌ったり、折り紙を教えたり、自分なりに精一杯工夫したつもりです。実習最後の日は、みんなと別れるのが本当に辛かった。この実習で、ますます幼稚園の先生としてやっていこうという思いが強まりました」。
  昌吾さんが、もともとJ-Shineコースに興味を持ったのは、多くの国を訪れた自身の経験からだ。「今までたくさんの国を旅行してきて、言葉や文化が違う人たちと幾度となく交流する機会を持ってきました。驚いたり、共感したり、バックグラウンドの違いを超えた人とのコミュニケーションは素晴らしい、またそこから得るものも図り知れないものがあるから」
  来年の4月には、オーストラリアで取得したJ-Shineの資格を生かして保育士としてスタートする予定だ。「自由な発想力を持っている子どもたちと接していると、大人が教わることも山ほどある」。保育士という仕事を通して、学び合う喜びを分かち合っていきたいと考えている。


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