夢は豪州競馬界で最速を極めること でも今は、 勝ちを急ぎすぎず「着実に」
Coffs Harbour
トレインテック騎手コース/NSW州競馬騎手
小沢勇二さん
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調教師(中)と先輩ジョッキー藤本さんと一緒に
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「実は今日、念願の2勝目を挙げたんですよ ! 」と電話口から歓喜の声を聞かせてくれたのは小沢勇二さん(23歳)。NSW州北部の海岸線沿いの街、コフス・ハーバーを拠点に、日本の地方レースにあたる「カントリー・レース」でプロの競馬騎手として2年近く奮闘を続ける若者だ。
本日の優勝賞金は4,000ドル。毎週の給料とは別にこの賞金の何割かが手元に入るという。競馬は、勝利の可能性を最大限に高めるため、レース本番まで減量して極限まで体重を落としていく厳しい世界。勇二さんも3日前から食べ物を何も口にしていなかったので、今日は祝賀会を兼ねて仲間たちと盛大なディナーに繰り出す予定なのだとか。
そもそも勇二さんは小さい時からの競争好き。夢は大学駅伝に出場することだった。「でも、体が小さい僕は諦めるしかない。そんな時に出会ったのが競馬でした」。体が小さいほど速くなれる――。そんなふうに、実家近くの東京競馬場で活躍するジョッキーたちに憧れるようになったのは、高校2年の時。それでも困ったことに、日本では騎手になるための条件に、身長とともに“43キロ以下”という体重の制限があった。「これはちょっと無理でした(笑)。でもオーストラリアでなら50キロちょっとオーバーでも騎手になれちゃうんです」。勇二さんはそれを知って、オーストラリアの騎手学校に留学し、この国でプロの騎手を目指すことを決心したのだ。
ゴールドコースト競馬場に隣接する学校で1年間の特訓をした勇二さん。その後、本格的に騎手のプロ試験に合格するために見習いジョッキーとなり、駿馬を育て上げる調教師の下に預かりの身となった。模擬レースに20回出場。そこで競馬協会のジャッジに認められれば晴れて本レースに出場できるジョッキーとなれるのだ。勇二さんはそのプロ・ジョッキーになって1年9カ月の97レース目で、やっと初勝利を挙げることができた。「僕のマスターである調教師はとにかく厳しい人。成績が悪いとレースに出たくても馬に乗らせてくれないんです。腐りかけたこともありましたが、1勝目を挙げてからは上位入賞が続いていて、今はすごく調子がいい。何よりマスターが喜んでくれるのが一番うれしい」と絶好調な様子。勇二さんは、勝つことにこだわりすぎず、平常心を持って基本に忠実にレースに臨むことが好成績に繋がっていると自身を分析する。「だから今の目標は、夢を持たないこと」と真剣に答える勇二さん。その調子で着実に勝ち星を増やし、いつかはメルボルンやシドニーの中央競馬で活躍する彼の姿を見られる日が来ることを祈りたい。
●これまでの経緯
2001年3月
高校を卒業。留学資金を貯めるためにアルバイト
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2002年4月
ゴールドコーストの騎手養成学校で1年修学
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2003年3月
卒業後、一時帰国し、豪州生活のため再びアルバイト
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2003年11月
現在の調教師の下で預かりの身になる
ここで模擬レースで実績を積む
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2004年12月
晴れてプロ・ジョッキーに昇格 |
何が変わった ?
日本で騎手になるための体系的ハンディを克服するために来豪。見事オーストラリアで、プロのジョッキーになるという夢を実現
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オーストラリア留学を機に大きく成長した7人の先輩たち
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