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政治 - 2007年10月15日

キム・ビーズリー・シニア死去

元労働党党首の父親
 10月13日、連邦労働党が声明を出し、元労働党党首キム・クリスチャン・ビーズリー氏の父親キム・エドワード・ビーズリー氏(90)が、10月12日、WA州パース市クレアモントのベセスダ病院で死去したことを発表した。ビーズリー氏は、1917年9月30日、WA州ノーザム生まれ。1972年から1975年までゴフ・ホイットラム労働党連邦首相の教育相を務め、オーストラリア勲章(AO)を受けている。ビーズリー(父)氏の連邦政界入りは、1945年に遡り、戦時内閣を率いていたジョン・カーティン連邦首相が死去した後、フリーマントル選挙区を引き継いだのが初めで、ホイットラム内閣がジョン・カー連邦総督によって罷免され、代わって組閣した自由党のマルコム・フレーザー連邦首相が選挙で当選した後、1977年に引退している。最近、90歳の誕生日を祝ったばかり。60年間連れ添った妻のベティさん、子供のキム・ビーズリー(子)氏、メリリン・ワッソンさんが見守る中、息を引き取った。貧しい労働者階級の家庭に育ち、飲んだくれの父親の代わりに母親にカソリック信仰と保守的な道徳観を教え込まれたビーズリー氏は、学究肌の雄弁家でもあり、1960年代から70年代の労働党党員としては珍しく道徳再武装系の反共主義者。そのため、労働党内でも敵が多かった。1850年代に盗みでイギリスからWA州に流刑された囚人の子孫。1945年に政界入りした時は弱冠28歳で、当時としては下院議員の最年少記録。ビーズリー氏の強固な倫理観のために政治家としては成功しなかったといわれている。(AAP)


この記事はAAP配信記事の忠実な翻訳であり、日本国内の報道と合致しない記述も含まれています。
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