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政治 - 2006年8月18日

ベトナム戦争の記憶

ロン・タンの戦いから40年
 40年前、ヌイ・ダットの基地から偵察に出たロイヤル・オーストラリア連隊第6大隊 (6RAR) デルタ中隊の108名が2,500名の北ベトナム軍と南ベトナム解放戦線と衝突し、3時間半の戦闘後、デルタ中隊の兵士18名が戦死した。17日にはロン・タンの戦い40周年を記念する行事がキャンベラその他で行われ、18日以後も1週間ほどにわたって記念行事が続けられ、現在6RARの駐屯地になっているブリスベンのエノゲラにあるガリポリ・バラックスでも記念行事が行われる予定になっている。17日には国会開会中にロン・タン40周年を記念し、その戦闘で戦ったオーストラリア兵士への献辞が行われ、ジョン・ハワード連邦首相はベトナム復員兵士が政府からも国民からも冷たい扱いを受けたことを謝罪したが、オーストラリアのベトナム戦争加担が当時のオーストラリア政府でっち上げた「南ベトナム政府からの支援の要請」によるものであったことにも、アメリカ主導のその戦争でベトナム人が受けた百万人を越える死者や負傷者、枯れ葉剤による後遺症や奇形など膨大な人的・物的な被害についても謝罪はなかった。また、ベトナム戦争中に地雷を踏んで両脚を失ったグレアム・エドワーズ労働党議員の挨拶をキム・ビーズリー党首が代読した。その中でエドワーズ議員は、不公平な徴兵制度で戦地に送られて心身を傷つき、復員後は満足な政府の援護も受けられず、世間の冷たい視線にさらされてきた人々の境遇を訴えた。(AAP)


この記事はAAP配信記事の忠実な翻訳であり、日本国内の報道と合致しない記述も含まれています。
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