ドン・チップ氏死去
民主党創設者
1977年、ドン・チップ氏は自由党から離れ、「Keep the bastards honest (ろくでなしどもを正直にしてやる)」という有名なモットーで民主党を創設した。労働組合を支持母体とする労働党、都市資産階層・中産階級を支持母体とする自由党、農村部の農業・牧畜業者を支持母体とする国民党のいずれもが利権がらみの政治に陥っていたことに対する反発が動機になっているが、当時、利権と距離を置き、党派にとらわれない市民運動の高まりが背景にあった。また労働党対自由党・国民党保守連合の勢力が拮抗すると、いずれの側も小政党の支持を取り付けようとするため、小政党の政見が国政に反映しやすくなるという現象が民主党の伸張を助け、市民運動の焦点になりやすい環境問題や人権問題で機能を発揮した。しかし、1990年代末からは民主党凋落の傾向が見られ、消費税法案で民主党党首がハワード首相と取引して政治的清潔さを疑われ、緑党に票を奪われるようになってきた。ドン・チップは1980年代初めにはタスマニアのフランクリン川をいかだで下り、ダム建設反対の大きなうねりに貢献したり、捕鯨問題、グレート・バリア・リーフの保存などで自由党政権を動かす勢力にもなった。政治引退後も環境問題などで影響力を持っていた。晩年はパーキンソン氏病に冒され、長年の闘病生活の後、8月28日、メルボルンの病院で死去した。81歳。ジョン・ハワード首相は、ドン・チップに国葬の栄誉を贈ることを発表した。(AAP)
この記事はAAP配信記事の忠実な翻訳であり、日本国内の報道と合致しない記述も含まれています。
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